Thursday, November 27, 2014

あわせるの意味: Part 3

前回のような話を知人にすると,「そんなことわからなくても皆生きていけます」と言われることもあります.確かにその通りかもしれません.私も以前はわからない人が多数いてもいいんだと思っていました.しかしこのようなことを使って人を騙す人達がいることをみるにつれ,それでいいのかと思うようになりました.特にお金を騙し取る方法としてこれに類似した間違った論理を使った事件の記事などを見ると,知っておいて欲しいなと思うのです.

前回書いたことは実は数学の問題に見えますが,むしろ言葉の問題です.数学の問題の形になっていますがこの問題の言葉の問題の部分だけでも少し考えてもらえたら嬉しいと思います.つまりそれは問題が何を意味しているかということです.

問題は言葉で述べられていますから,言葉の意味を考えて欲しいのです.この場合にはゴールの率という考えと合わせるという言葉の意味を深く理解する必要があります.私はこの生徒に,このことを考えて欲しくてこの問題を考えました.ゴールの率というのはシュートした回数のうちの成功した回数でそんなに難しくありません.しかし,私は意外なことに「合わせる」の意味を理解していない人が多いことに気がついてこの問題を作ったのです.ここではいくらたしても値が同じというおかしな計算を正しいように見せるために,「合わせる」の持つ多重の意味を利用したのです.

私は「合わせる」という言葉が簡単なように見えるのに,実はそうでないことに気がつきました.言葉の持つ奥深さがあることに気がつきました.そして簡単に見えるが故にあまり深く考えないという盲点をついたのです.文学をする人など,一言一言の言葉の意味を大切にする人ならばこれには気がつくことでしょう.日常の生活ではあまり気がつかないことだと思います.しかし,これが見破られなければ,合わせても同じ量になることを利用して,たとえば税の負担やある料金の負担が変化しないように見せかけることができることでしょう.私は人々がそのようなことに騙されて欲しくありません.民主主義の世界では多数が嘘に騙されれば,私も騙されてしまいます.いや,たとえもし私がわかっていても多数に巻き込まれて騙されなくてはいけなくなるからです.

この少年は問題の意味を理解して,私の嘘を見抜きました.そしてこの少年は私に尋ねました「先生も嘘を言うのですか?」私は答えました「もちろん.先生も嘘を言う.ほとんどは嘘というよりも間違えるだけだと思う.でも自分で考えてそれを見抜けるようになってくれれば,これほど嬉しいことはない」(私は同時に彼が良いコミュニケーションスキルを持てればいいと思いました.というのも私はそれで苦労したからです.)

先生のような権威も嘘を言うこともあるし間違えることがある.「大人は嘘をつくんじゃなくて間違えることがあるんだよ」とは日本の私の世代ではちょっと有名な言葉です.私はそれに気がついてくれたこの少年が今後は自分で考えて納得していくことを続いて学んでいって欲しいと思います.そして自分の言っている言葉についてちょっとだけ深く考えるには,詩や外国語を学ぶという方法や,数学という方法もまたあることを知って欲しいなと思いました.

今の時代,科学があまりに生活に密着しているため,市民として知る基礎的な科学というものがあると思います.学校で理科を全員が習うのは,全員を科学者にするためではありません.市民として生活のために社会の基盤(インフラ)を理解する必要があるからだと思います.それはたとえば福島の事故に見られるようにどこから電気が来るのかまったくの無関心ではいられないことからもそう思います.コンピュータのセキュリティの詳細は知らなくても,何らかの対策は知らなければ生活に困ることになるでしょう.これらの知識に触れるきっかけとしても少し算数の話や科学の話に興味を持ってもらえたらと考えています.

今回はこの記事ではたし算の問題の何が問題なのかはっきりとは書かないでおきます.でも,中学生でも十分理解できることです.ちょっと時間はかかるかもしれませんが,ヒントは与えてあるので,少し考えてみてはいかがでしょうか? いきなりインターネットでサーチはしないで下さい.まず,ちょっとだけでも考えてからにしましょう.

Wednesday, November 26, 2014

あわせるの意味: Part 2

少し前に私はある13歳の少年に算数を数ヶ月教えていました.彼の家族はちょっと遠くに引っ越してしまうため,最後のセッションの日がやってきました.

最後のセッションでは, \(\frac{1}{2}\) と \(\frac{1}{2}\) を合わせるといくつになるかという話で2つの話をしました. \(\frac{1}{2}\) 個のケーキと \(\frac{1}{2}\)個のケーキを合われれば
\begin{eqnarray*}
\frac{1}{2} + \frac{1}{2} = \frac{1+1}{2} = \frac{2}{2} = 1
\end{eqnarray*}
と,1になります.分母はそのままに分子をたすという分数のたし算がここにあります.私達はなぜこのようにするのかの理由について議論しました.そしてこうする意味について話し合いました.

そこで私はもう1つの話をしました.あるサッカー選手がある試合で2回のシュートをして1回ゴールしました.ですから,この選手のゴールした率は 2 回のうち1 回のシュートで \(\frac{1}{2}\)です.(シュート2回で1ゴール.) 次の試合でこのサッカー選手はやはり2回のシュートをして1回ゴールしました.ですから,この選手のゴールした率は今回も 2 回のうち 1 回のシュートで \(\frac{1}{2}\) です.2試合分を合わせると 4 回シュートして 2回のゴールですからこの選手のゴールの成功率は \(\frac{1}{2}\) です.
\begin{eqnarray*}
 \frac{1}{2} + \frac{1}{2} = \frac{1+1}{2+2} = \frac{2}{4} = \frac{1}{2}
\end{eqnarray*}
これは正しいはずですが,しかし,\(\frac{1}{2}\) と \(\frac{1}{2}\) を合わせたら 1 ではなかったでしょうか?  分数のたし算としてはおかしいですね.ケーキを合わせると
\begin{eqnarray*}
 \frac{1}{2} + \frac{1}{2} = 1
\end{eqnarray*}
なのにゴール率は2試合分を合わせても
\begin{eqnarray*}
 \frac{1}{2} + \frac{1}{2} = \frac{1}{2}
\end{eqnarray*}
です.そしてどうして同じ式が違う答えになるかと尋ねました.たし算の答えがいくつもあるのは普通ではありません.1+1 は 2 に等しいが,同時に 1 にも等しいというふうなことはないはずです.ですから両方が正しいはずはありません.

この少年と私はいろいろとこのことについて話をしました.彼は最初はゴール率はケーキと同じく 1 になるはずということを言っていましたが,私がもう一試合加えると,
\begin{eqnarray*}
 \frac{1}{2} + \frac{1}{2} + \frac{1}{2} = \frac{3}{2}
\end{eqnarray*}
となり,これをゴール率で考えれば2回のシュートで3点上げることになります.(得点を「上げる」!)  それはおかしくないか? と尋ねると,丁度彼の父親が通りかかって,「すごい選手ならば2回のシュートで3点上げられるかも」と冗談を言いました.しかしまあ,それは無理でしょう.この計算には何か問題があります.
\begin{eqnarray*}
 \frac{1}{2} + \frac{1}{2} + \frac{1}{2} = \frac{1+1+1}{2+2+2} =
  \frac{3}{6} = \frac{1}{2}
\end{eqnarray*}
ならば毎回2回のシュートで1点を上げているこの選手のゴール率として正しいように見えます.分子どうし分母どうしをたす方法が正しいように見えてきます.6回シュートして3得点ならば,2回に1点の得点率です.

しかし,20分ほどして彼はついに何が問題なのかをみつけ,私に言いました.私はすばらしいと思いました.

次回はどうして私が彼にこんな話をしたのかをまとめます.

Tuesday, November 25, 2014

あわせるの意味: Part 1

人は言葉を使って考えるので,考えたことをプログラムにする私にとっても言葉は重要なものです.1つの言葉が状況によって様々な意味に使われることはよく見られます.それはある種の冗談,洒落というものがあることからもわかります.あるいは基本的な言葉が文脈によって意味が変化するというのも普通であり,それが人間には普通であるようです.たとえば「上げる」と言うことばは,「地面に対して高い方向に移動する」ということもあれば,ものを贈る時に他人を尊敬する意味で相手を上として,「上げる」ということもあり,またコンピュータで「ファイルを上げておく」とするとファイルをどこかのサーバーにアップロードするというふうにもあります.声を上げるというのは物を動かすのではなく,意見を言うという意味です.同じ「上げる」という言葉でも実際に行うことは違います.

このようなことは1つの言語だけで考えているだけでは気がつきにくいものですが,外国語を学んだことのある人は翻訳という作業を通して母国語と外国語の両方の奥深さを新たに知ることが多いでしょう.辞書には普通複数の意味が書かれています.文学,特に詩では1つの言葉を2つの意味として使うことで奥深さを持たせるということが重要となっています.1984 のNewspeak では人民の思考を制御するために言葉の意味を制限する描写があります.またコンピュータ言語を学んだ人ならば例えば overloadingなどの概念で同じ名前の関数が異なる実装となることから人間が言葉に複数の意味を持たせていることに気がつくことができます.数学を学んだ人は同じ演算子記号の意味が様々な操作になることにも気がついているでしょう.

プログラミング言語や数学を学ぶ時,そこには文学的なものを感じる人達はいくらかいらっしゃると思います.ルイス・キャロルやチョムスキーのような言語と数学の両方にいる人達は2つの異なる物に得意なのではなく,そこにあるのは1つのものだと私は想像しています.

この1つの言葉が様々な意味を持つことから,自分の言っている言葉が本当はどのような定義なのかを考えることは重要です.最近そのことを感じる機会があったので次回はそれについて続けます.

Tuesday, November 11, 2014

Frontline Volunteer

私の一番良く知っている人が先日エボラの感染を食い止めるためのボランティアに応募した.彼はプログラマであって,医者でも看護師でもないので,何ができるのかと思ったが,どうやらサポートの人員もボランティアで募集しているそうである.たとえば,データーセンターを作る IT テクニシャンというポジションがある.

応募するのは怖くはないのかと尋ねると,怖いそうだ.感染したら致死率が 50から 80 パーセントという病気,しかも治療薬はまだ開発途上である.気軽に休暇に行くというわけにはいかない.

しかし,outbreak がこちらまで来てから考えるよりも,発生源に近い方で止めるべきだと思ったそうだ.また,彼には家族もいないので誰かがすべきなら自分でも良いと思ったそうだ.それでもボランティア応募のフォームを埋めて,送信のボタンを押した時には手がふるえたそうだ.

フォームを送ってからの最初の一週間は,もし行くとしたらその前に何をすべきかということを考えて過ごしたということだ.彼は算数の教材のビデオを趣味で作っていて,その週にはその作成が進んだということである.しかし私はその作業がすぐには終わらないことを知っているので,一週間だけ進んでもどうなのかなと思った.彼も私の考えていことはわかるようで,もしかしたら帰ってこないかもしれないと考えると何かしておきたいと思ったそうだ.また,何か医療のトレーニングができないかと知っていそうな友人に尋ねたりしたそうだ.

彼がエボラのボランティアに応募して一週間とちょっとして応募の返事が来た.「ボランティアへの参加応募,本当にありがたい.しかし今回はお願いしない.次回に何かあればまた連絡する.」という主旨の手紙であった.一週間ちょっとで人員を選んだというのはやはりかなり緊急なのだろう.ただ,彼の専門はコンピュータで,まったく医療の訓練もoutbreak についての経験もないということで選ばれなかったのだろう.断りの手紙がくるまで彼は医療のトレーニングについて知っていそうな人以外には誰もこの話をしなかった.

返事が来るまでの一週間とちょっとは,普段とは違った感覚だったという.帰ってこれないかもしれないという考えはどうも日常とは違っていて,しかしよく考えてみると別に帰って来たら何かどうしてもしたいことがあるのかと思うと別にないことも気がついた.それなら病気を止められる助けになるというのは意味があることだろう.

ただ,彼が時々面倒を見ている友人の子が 11月 18日に誕生日なので,もし行くとしたら,出発はその子の誕生日を祝って後にお願いしていたそうである.

Monday, November 10, 2014

隙間時間でボランティアのすすめ・ランチブレイクボランティア編

「隙間時間」と私が呼んでいる時間は,電車を待っている間とか,人との待合せの時間,通勤時間など,ちょっとした「待ち」の発生する時間のことです.私は教材の翻訳というボランティアをしていますが,この隙間時間をよく使います.

私の場合,ものぐさなのでまとまった時間をつくるのはなかなか大変です.また無理をするとボランティアは続かないと思います.ちょっとした時間に無理をせずに少しづつ,ただし長く続けたいと思っています.

私が具体的にしているのは Khan academy の教材を英語から日本語とドイツ語へ翻訳することです.日本語訳は自分一人でできるのですが,問題なのはドイツ語の翻訳です.私のドイツ語はまだまだなので,誰かにチェックしてもらう必要があります.私は仕事の同僚と昼食に行き,そこでコーヒーを一杯飲む時間で誰かに私の翻訳を見てもらうことにしました.つまりコーヒー待ち時間,隙間時間のボランティアの1つです.

できるだけ毎日私は算数の練習問題を1つか2つドイツ語に翻訳します.それを印刷して,同僚との昼食に持っていきます.そして,コーヒーを注文して来るまでの間に見てもらいます.その時々によって一緒にコーヒーを飲む同僚は違います.同僚のうち6人ほどがこれに協力してくれています.その様子の1コマが以下の写真です.また,見てもらった例とそのいくつかが残っていますのでそれも写真でご覧下さい.

Lunch break volunteer snapshot

A sample proofreading result
Recent results
これをはじめて約一年半が過ぎました.翻訳した量は日独合わせて 450,000 語になります.そのうちドイツ語は 40,000語ほどです.ドイツ語に関しては1日5分から10分の隙間時間でも毎日一年半続けるとこれだけになります.これは全必要作業量の1%近くですから,私と同じようなことをする人がドイツに100人いるだけでドイツ語の作業は完了します.ドイツ語は比較的ボランティアがいますし,1日2問というのは他の翻訳者に比較したらかなり少ないものなので,実際にはそんなに人数は不要でしょう.しかし,日本語は残念ながら参加者がほとんどいないのでまだまだかかりそうです.私は翻訳の準備には1日25分以上はかけないことにしています.また,これは私の趣味ですから,同僚に負担をかけないように,翻訳量も1日1ページを越えることはないようにもしています.ここ一年の翻訳状況のグラフも以下に示します.

Crowdin progress graph from 2013-11 to 2014-10

皆さんもこういうボランティアはいかがですか.コーヒーの時間と決めているので,今日はコーヒーはなしという時にはその日はボランティアはなしです.夏はコーヒーじゃなくてアイスクリームにしよう,と言う日もあるので,ちょっと進みが遅かったりします.隙間時間のボランティア,ランチブレイクボランティアはそんなに負担にならないわりには,1年たってどれだけやったかと見るとその続けた時の効果は大きいもので,驚きます.こういう地味な作業の必要なボランティアにはおすすめです.