Sunday, September 27, 2015

兎のエゴンと私: 不便な頭脳

「もし1ヶ月が1学年だったら,私はもう25年生だよ」とその8歳の子は私に言った.「そうだね.1ヶ月が4週間としたら,そして1週間が1学年だったら,君は何年生?」 と私は尋ねた.でも,もう彼女はこの考えに興味を失なったみたいだった.

I: Egon 君は誰かを愛しているのかい?

Egon: 愛? それはどういう意味かな?

I: ... 説明は難しい.もし私が誰かを愛しているとしたら,私はその人を大事に思う.その人が大丈夫であることを願う.その人が幸せであることを願う.

Egon: それが愛ということなら,私は全てを愛しているね.

I: 私はある人を愛している.でも全ての人ではない.

Egon: どうして?

I: さて,どうしてか...もし私がある女性を愛していたら,私は彼女と一緒にいたい.でも全ての女性と一緒にいたいわけではない.

Egon: 君は誰かを愛している.どうしてその人と一緒にいたいのか?

I: なぜかはわからないが,もし私が誰かを愛していたら,その人と一緒にいたいと思う.

Egon: まあ,良い話だね.

I: どうなんだろう.実際は,私が好きな人は私のことが嫌いだったりする.何人かの女性が私に語ってくれたところでは,好きでもないのに好かれるのは気分の悪いものだそうだ.そして私はこれまで 2 人の女性に私に面と向かって気分が悪いと言われたことがある.

Egon の片方の耳は私の方を向いて聞いていたようだが,もう一方の耳は他を向 いていた.私との会話に飽きてきたのだろう.

I: こういう話がある.話の中ではある男はある女性に毎日花を贈っていた.彼は毎日彼女と少しの時間を過ごすのが楽しかった.でも,その女性はある病気でもう多分長くない.ある日,灰色の男がやってきて,男は彼に話をする.彼がいかに時間を無駄にしているのかを説明する.

Egon: ...

I: 私は彼が時間を無駄にしているとは思わないんだ.

Egon: 何かが無駄かどうかは個人の認識による.

I: 灰色の男は他の女性をみつける方が良いという.いつか彼は彼女を失なう.それは彼にとって苦しみとなるだろうと言う.

Egon: いつでも人は何かを失う可能性がある.長生きが良いとは限らない.

涼しい風が吹いた.太陽が優しく私を照らした.Egon は葉を食べていた.

I: 君は幸せなのかい, Egon?

Egon: 君の質問の意図がわからない.どうしてそう尋ねるのかね.

I: 私は幸せは重要なものだと思っていた.でも,今はどうなのかわからなくなった.幸せについて考えることで,私は不幸になっている気がする.

Egon: でも,考えを止めることができない.そうだろう?

I: できない.

Egon: 君もかつては 8 歳の子どもだったことがあるだろう.あの子は時々君が悲しそうだとと言っていた.

I: 私は自分が悲しそうかどうかわからない.でも,私は彼女の直感を尊重したほうがいいと思う.

Egon: 君は自分の心が何を言っているのか聞こえるようだ.でも,それに従うことはまた別のようだ.君の頭脳は不便なようだ.君は考えることができる.君は感じることができる.そしてそれが君を悲しくする.

不便な頭脳.多くができることは少なくしかできないことと同じ.私はより深く考えることができるのに,それが,私を悲しくする.私はより喜びを感じることができることで,それは同時に痛みを多く感じることにもなる.灰色の男はいわゆる「理性的な考え」ということも代表している.バーナード・ショーが理性的な人間について何か言っていた...

ところで,私の最初の問いの答えは 100 年生だ.私はたくさんのくだらない答えを知っているのに,1つも重要な答えを知らない,と君は言うだろうね,エゴン.

謝辞

学年というのは単なる数字にすぎないかもしれないことを教えてくれた I.M.R. に感謝します.

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