Friday, January 29, 2016

ゾンビの数えかたは?

「日本語でのゾンビの数え方がわからない」と思った.私は Khan academy (https://www.khanacademy.org/) という MOOC の算数の教材を日本語にするボランティアに加わっている.ここで比例についての問題に次のようなものがあった.
Liliana used 4 dark power crystals to raise 14 zombie soldiers. She wants to know how many zombie soldiers (z) she can raise with 10 dark power crystals...
リリアナは 4 個のダークパワークリスタルを使って 14 人のゾンビ兵士を動かすことができます.彼女は 10 個のダークパワークリスタルで何人のゾンビ兵士を動かせるかを知りたいと思います...
最初に思ったのは,ゾンビは人間同様に 1人,2人,3人と数えるのか? である.もしかしたらゾンビは動物なのか? すると1匹,2匹,3匹かもしれない.ゾンビは死体だとすると,1体,2体,3体かもしれない.いや,ゾンビは神霊なのか? そうすると,1柱,2柱か.ここではゾンビ兵士だ,すると兵士だと人間と同じで1人,2人ではないか.結局そこでゾンビは1人,2人と数えるように翻訳した.

翻訳作業というのはなかなか面白い.あなたも Khan academy の国際化の作業に参加して,自分の言葉に翻訳してみませんか.(https://www.khanacademy.org/contribute)

Sunday, January 24, 2016

ソーシャルメディアの記事の質を高くするための新しい記事の評価方法

私がソーシャルメディアをあまり使わなくなってからずいぶんたつ.自分の時間をソーシャルメディアで上手く使えなかったのが原因で,何か上手く使う方法があるのかもしれないとは思っていたが,今日,次の TED トークを聞いて,ちょっと違う面を考えた.

Wael Ghonim: Let's design social media that drives real change
http://www.ted.com/talks/wael_ghonim_let_s_design_social_media_that_drives_real_change
ソーシャルメディアを使っていて,少し感じていたのは,このトークの polarization の部分である.ソーシャルメディアでは,何かを好きな人が集まる場がある.しかし,多くはもともと何かを好きな人で,新しい考えの人はなかなか入ってこない.ちょっと違う考えの人は他に行ってしまう.結局実際の友達とのカフェの会話の方が違う考えがある程度はいってきて私には面白いのだった.少し違う考えでも,ソーシャルネットワークではその場でログアウトしてしまうことができるが,友達とカフェにいればそうはいかない.つまり友達との会話には理解と対話があることが多い.

ソーシャルメディアでは通常,Like/Dislike という形でしか記事の評価がない.この場合,センセーショナルなうわさや,ヘイトスピーチの評価は高くなる.それは,好きにしても嫌いにしても簡単に判断できるからだ.そのような評価では対話や理解は記事の評価には入らない.たとえば,ヘイトスピーチの典型例として,「特定の宗教を持つ人々を地域から排除せよ」というような発言はLike/Dislike の合計クリック数としては高いスコアになるだろう.そしてそれが注目される記事として高く評価される.読者が多いとされれば,広告業界は注意を払うだろう.典型的な Yellow Journalism の手法である.

つまり Like/Dislike 評価では,新しく学ぶという要素がない.既に好きなら好き,嫌いなら嫌いとなるような記事が評価される.もし私が,記事の質を落としてポピュリズムに走れば,私の記事はより「好き」か「嫌い」かどちらかのクリック数を獲得できる.それが注目されていることの指標になる.しかしそれは本当に興味ある記事なのだろうか.私の場合,結局そういう人達の記事を読まなくなった.一時的に注目を集めてもやがて特定の人以外は読まなくなるだろう.

ソーシャルメディアで他の基準はできないものだろうか? もっと質に関わるような評価方法はないのだろうか.Ghonim は提案する.「好き」,「嫌い」ではなく,「私は考えをこの記事で少し変えた」というような評価である.この場合,人は知らない世界や基準について学び,自分の考えを少し変える.自分の世界を少し変える,特に広げる場合,それは学びである.人が新しいことを学び,世界を広げていけるような,そういう記事こそが質の高い記事ではないだろうか.だから,「この記事で私は新しいことを学べた」というような評価もあるだろう.

クラブのようなものでは,好きな人が集まることには何の問題もない.しかし,社会的問題などの対話の場所としては,ソーシャルメディアが好き嫌いの分断化を促進するだけでは社会にとってまずいのではないか.Ghonim は彼自身が深くかかわったエジプトの 2011 年の例をとってそれを語る.このトークは私のソーシャルメディアにある like/dislike についての考えを変える面白いトークであった.

私も Like/Dislike ではない.新しい対話と理解の助けについての reward のある形にソーシャルメディアが発展することを望む.

Saturday, January 23, 2016

Oracle virtual box と Avira の組み合わせで VM が起動しなくなる問題

2015 年の 12 月に Windows 7 上で Oracle VM Virtual Box (5.0.10) が突然 Virtual Machine を作成できなくなった.エラーは以下のようなものである.
VirtualBox - Error In supR3HardNtChildWaitFor
---------------------------
Timed out after 60001 ms waiting for child request #1 (CloseEvents).
(rc=258) where: supR3HardNtChildWaitFor
what: 5
Unknown Status 258 (0x102) (258) - Unknown Status 258 (0x102)
このマシンでは比較的 Virtual machine を使わないのだが,困った.仕方ないので,必要な時には直接 Linux を立ち上げるが,やはり使い勝手があまりよくない.

他の Windows 7 では特に問題はなかったが,ようやく解決策がみつかった.

https://avira.ideascale.com/a/dtd/Avira-sollte-das-Ausf%C3%BChren-von-VMs-in-Virtualbox-nicht-blocken/160234-26744#idea-tab-comments

Avira の process protection と Virtual Box が組み合さるとこの問題があるということだ.完全な解決は 2/9 のリリースにということだ.他のマシンで問題がなかったのは,他のマシンでは私は他の会社のウイルスチェッカーを使っているからであった.

Sunday, January 3, 2016

私にとって興味深かった本: 資本論(部分)をエントロピーから見る

半年以上前だが,マルクスの資本論の第一部の半分ほどを日本語で読んだ.最初は商品の価値についてであるが,まわりくどく,何を言っているのが理解できなかったのだが,ある時点でこれはエントロピーのことを言っているのではないかと仮定してみると,かなりの部分がすっきりとした.

物の価値として,まずは人が価値があると「思う」ものとしてあるとしている.しかし価値は労働によって生み出されるので,それこそを基準にすべきだという考えがあるようだ.ここで労働が価値を生む例としてでてくるものに,リネンの価値がある.これは労働,たとえば仕立屋の労働によってリネンそのものは重さや長さをかえなくても,布を服に仕立てることで価値が上がるというものだ.

エントロピーというのはものの秩序などを示すものだ.たとえば家を掃除した場合を考えよう.ちらばっていたほこりが一ヶ所に集まっただけで,ほこりの量が変化したり,エネルギーがどこかにたまるわけではない.しかし,家の中はより秩序だっている状態になると考える.床に服がちらばってものをタンスに片づける場合,服の量が変化したわけではないが,より秩序だっていると考えることができる.それはよりまれな状態であるので,ある意味価値がある.縫いあわされていない布よりも服となったものの方が秩序があると考えられる.そして自然では通常秩序のある状態から無い方向に変化する.部屋はほおっておけばだんだん汚れていき,掃除をしないできれいになっていくことはない.(エントロピーについてのもっと詳細な説明は他に委ねます.)

リネンの布そのものよりも,それが服として仕立てられることや,家を掃除することなどは,エントロピーを下げるものである.マルクスはそれをいろいろな言い方で書いている.ただ,基本的な考えは,当時ではエントロピーを下げるものは基本的に人間の労働でしかできなかった.だからそれこそが価値のあるものだとして,労働を価値の基準のように考えたと私は思った.読んでいて,数式で書いてもらえたら簡単そうなのにと思う部分もあった.

こうやって読むと,簡単なことにも思えたが,それは私が現代の考えを学ばせてもらえたことが大きいと思う.たとえば,物の価値が「人間がそう考えたから」という考えは当時普通の考えではなかったようだし,エントロピーや情報の考えなどは今でこそ体系的にわかりやすく学ぶこともできるが,そういうことがまだ体系化されていない時代に,価値をエントロピーとして見たり,経済の中にそれを導入したことは画期的な考えであったのだろう.

現代の見方をすれば,価値がエントロピーをどれだけ下げるかで決まることなのに,それが人の労働時間へと近似されていることに疑問がでる.現在ではその近似は粗すぎるように思う.単純労働が支配的な時代には,人が同じ時間働けば同じような生産を生むという仮定もできただろう.しかし今はそうではない時代になっている.ただおそらくマルクスは同じ仕事を同じ時間したにもかかわらず,当時は貴族などの階級によって価値が差別されていたことに異を唱えたかったのかもしれないようなところもあった.しかし一方,階級ではなく,ある技能を持った人とそうでない人はその技能について同じ時間働いても同じ価値を生みだすわけではない.クリエイター,芸術家や作家などはその極まった例だと思う.私が有名な作家と同じ時間働いても,生み出される価値は全然違うものだ.私が経験を積んだシェフと同じ時間を働いても,できる料理は経験を積んだシェフの方がずっと良いものになるだろう.また,現在は人間だけがエントロピーを下げるものではなく,コンピュータやロボットがエネルギーと人間の能力とを一緒に使って物を生産(エントロピーを下げる)することができる.マルクスが現代の分業化が高度に進んだ世界や,コンピュータ化させた工場を見た時には資本論をどう書くのか興味がある.

私が読んだのは最初のさわりだけで,これでマルクスの資本論を読んだとはとても言えないことは確かだ.その証拠に私が読んだ所まででは,まだサブタイトルの「経済学批判」の部分がでてこなかったように思う.そのうち続きを読む機会があればいいと思う.単にこういう見方で読むことでわかりやすくなった部分もあったと思うので紹介しておこうと思った.

しかし,マルクスの考えでは Arbeitnehmer (ドイツ語では仕事を取る人: 労働者)と Arbeitgeber (ドイツ語では仕事を与える人: 雇用者) の言葉の使い方は完全に間違えである,というのは面白かった.労働者こそが仕事で価値を与えるので,労働者こそ仕事を与える人であり,このドイツ語の間違いはやがて修正されるだろうとあったが,今でもまだ修正されていない.